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夢の職業に就けた充実感とこれから 藤原大輔(22)JFLサッカーチーム/広報・運営

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少し見ない間の変化

 私が大学生時代にアルバイトで働いていたジムのメンバーのひとり。以前にも紹介した、田中君、笹川さんと同僚にあたり、田中君とは小学校からの同級生。さらには、今私が働いている職場で、以前紹介した戸室君とも友人。

 

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 どこか抜けていて、この先、大丈夫かな。と思っていたが、今では新卒1年目の社会人。知り合った10代の頃は、自分の話をするのが苦手だったが、少し見ない間に自分の経験と思考に基づいて話ができるようになっていた。

 学生時代やアルバイト、社会人の道を歩むことで、それまで点と点だったものが線になりつつある。その渦中を目の前で見ているような気がした。

 

就職から一転、専門学校への進路変更

 小学校からサッカーを始め、高校生までサッカー部に所属。高校は地元の商業高校に進学した。理由は、家からの近さと、高校卒業後は就職しようと考えての選択だった。ところが、3年生になり学校で求人情報に目を通していた時、高校卒業の学歴の限界を感じた。「2年、3年の夏までは就職を考えていたが、実際に求人情報の仕事内容や給料を見た時、就職しても続かないと感じてしまった。」

 就職という考えが無くなり、進学へと方向転換。「高校までサッカーをやってきたから、スポーツの専門学校に行くことにした。」スポーツに関してなら、興味を持ち、可能性が広がると思ったのだろう。

 

1つの点を生み出した大学進学

 専門学校ではスポーツ全般のマネジメント、運営を学んでいた。2年間通い卒業。そこでも、就職をすることなく、東京国際大学に進学した。「専門学校卒業のため、大学は3年生から編入した。大学に進学した理由は、専門学生の時に高橋さんと同じジムでアルバイトをし始めた時から、自分も筋トレにハマり、体の構造や、筋肉に関しての知識をつけたいと思いステップアップを考えて大学進学をすることにした。」

 当時は私に大学選びや、生活サイクルを聞いたり、私からも彼に対して進学後どのようなことを学びたいのか。大学卒業後の進路のイメージなどを、バイト終わりに近くの公園で話し合った日もあった。

 

諦めていたサッカー関連の仕事。チャンスは突然に

 3年生の就職活動解禁と同時に動き出した。専門、大学で培ったスポーツに関する知識。加えて、昔から子供が好きなこともあり、サッカーの指導者の仕事を探した。何社か受け、自分が希望していた会社の最終面接まで進んだが不採用となった。

 「サッカー関係で働く事を諦め、なにをしようかと考えた時に、大学時代にアルバイトでナイキで販売員をしていた。子供やスポーツの知識を使うこととは世界が違うが、スニーカーも好きだからその業界で働くこうと途中で進路を変えた。」

 某靴販売会社に採用され、大学卒業までには研修もし、配属先まで決まっていた。しかし、卒業を控えた2月の下旬に状況は一変する。

 

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大学生時代にNIKEでアルバイトで働いていた。自身にとって大きな経験となったと振り返る。「色々な人に出会え、繋がりの良さを実感した。」青森に行って、それをさらに実感している。

 

どのようにして、今の職場で働く事になったのか

 彼が小学校の時に所属していた少年団のサッカーチームの当時大学生で、ボランティアとしていたコーチがいた。その時のコーチが彼が通っていた専門学校で講師として授業を受け持っており再会。そこから交流が始まる。専門卒業後も連絡を取り合う仲だった。

 

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 彼に仕事を紹介した徳永さん

 

 その人から2月下旬に「JFLのチームで働いてみないか?」と誘いを受ける。「以前から、サッカー関係に興味があると話していた。県内外問わず、どこでも行くので、もし仕事があれば紹介してください。と伝えていた。そしたら、卒業間近の2月下旬に話をもらった。」話が来るとは思ってなかったそうで、絶好のチャンスだと感じた。「配属が決まっていたが、その仕事がしたいと思った。面接後、もし採用となればそっちに行くと決めていた。」

 面接は、彼に仕事を紹介してくれた人の知り合いの人と、クラブチームのGMと彼の3人で行われた。面接はチームがキャンプで訪れていた静岡で行われた。「面接は1度きりで受かるかどうか全くわからなかった。チーム事情や、運営方針に関して説明され、これまでの自分の経歴などを話した。」ほどなくして、採用の通知が届く。内定先には丁重に断りを入れ、本来勤めたかったサッカー関係の仕事に就くことができた。

 

所属するチーム”J3への昇格”が責務

 今年の4月に青森のJFLチームに所属。青森にはJFLのチームが2つある。JFLは16チームあり、北は青森、南は九州まである。土日の試合がメインで、ホームとアウェイ戦がある。

 J1>J2>J3>JFL。という順番に規模が大きくなっており、JFLに在籍するほとんどのチームが、J3昇格のため日々練習に励んでいる。彼のチームもまたJ3昇格へと向け、昨年監督や選手を入れ替えし新しいチームへと生まれ変わっている。

  所属選手は30人。その内、昨シーズンまで在籍していた選手は10人程度。それ以外の20人は今年に入っての新加入選手だ。開幕序盤こそ、連携が取れていなかったが徐々に改善。繋ぐサッカーを基盤としたチーム。来年にはJリーグに対応したスタジアムが完成予定で、2020年にJ3昇格を目標にしている。

 

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彼が所属するチームの試合直前の写真

 

チームを支えるための仕事内容とは

 社会人5か月目。広報、運営、兼営業。仕事内容は多岐に渡り、所属選手のインタビューや取材、地方局のテレビ出演の帯同から、知名度向上のためのPR活動、スポンサーとの会議。

 土日の試合では、ホームの時は会場の設置や運営。アウェーでは九州まで行くこともしばしばある。試合の前日には選手が使用する、飲み水やサプリメントの買い出し、ホテルのチェックアウトも行う。連日業務内容が違うことは常にあり、同時に進行しているプロジェクトも多い。月に1回は運営員会の研修で都内に出張もある。

 

様々なシーンで求められる判断するチカラ

 J3昇格へひとつの条件となるのが、”1試合に集客数2000人”。現在は500人程。それを補うための広報活動、集客率アップが彼の責務だ。そのためのPR活動に勤しむ。

 イベントは在籍選手と、スポンサーや、会場を提供してくれる会社など多くの人が一体となり進行する。すべてにおいて彼が仲介となりスケジュール管理や日程調節を行う。「選手や企業が時間を割き、相手先と綿密な打ち合わせをする。無事企画が終了し、来場した人たちが楽しんでいる様子を見ると安心するし、達成感もある。」イベントに行くのはチームで彼ひとり。突発的なことが起きれば、その都度対応を余儀なくされる。

 

2018FIFAワールドカップ、日本対コロンビア戦。その頃青森では


 今夏ワールドカップが行われていた時も、青森でイベントをしていた。様々な地元企業が出店しているイベントで、ブースを借りイベントを行った。「その時のイベントでは、子供たちが多く来ると見越していたので、選手と子供たちが一緒にボールを使った企画を立案した。」
 当日は、ワールドカップの日本対コロンビア戦。試合前には会場でトークイベントを行った。その間にも、彼が選手の様子を写真に収める。パブリックビューイングで試合を流し、選手や訪れた人たちが一体となって試合を楽しんだ。

 このようなイベントを月に2,3回と行い県内外から興味や関心を持ってもらう活動を行っている。「まさか、このような仕事に就けるとは思っていなかった。忙しい日が多いけど、夢のようだ。」と笑顔で話す。

 

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彼も休みの日には、フットサルをして楽しんでいる。写真はNIKEのスタッフと

 

華やかな舞台だけではない、見えない仕事

 チームを勝利に導くための試合以外の見えない仕事もある。平日には、エクセルやワードでの数字管理はもちろんのこと各スポンサーにFAXを送信したりなどのデスクワークもある。時には、キックオフセレモニー(試合前に、著名人などが試合開始の前に行う催し物)があるときはマニュアルの作成。毎試合事にセレモニーの内容が違う。市長がピッチに立ち、挨拶の時間の割り振り。マスコットキャラがキックインしてから審判にボールを渡すまでの動作など。細かな所までのルール作りも彼の仕事だ。

 ホームゲームの際にはチーム専用のスタジアムもまだ無いため、各地域の競技場を転々とし、自分たちで前日に机や椅子を配置している。

 

時間の経過と焦る自分


  4か月が過ぎ、感覚的には1年間そこで働いている気がしているそうだ。「仕事面でのスピードがとにかく早い。できないなんて言ってられない。その分、刺激はものすごく多い。」そう話すように上記のことを4か月間行っていたと思うと、怒涛のような月日の流れだろう。「これまで実家だったたが、就職を期にひとり暮らしが始まった。最初はホームシックだったし、夜部屋に帰ってきてもひとり。ごはんを作るのも億劫な日々だった。」

 最初から多くの企業やスポンサーとやりとりをしなければいけなく、社会人としての常識を自ら学ぶことを大事にしている。「最初の数週間は先輩の営業などに同行していたが、すぐに社外や取引先へのメールや電話も任されるようになり、営業やイベントの打ち合わせも単独で行っていた。」尊敬語や謙譲語の言葉遣いやメールでの文書作成など、自分で本を購入し学んでいる。「自分がしっかりと業務をしなければ、チームに迷惑がかかる。取引先の人がメールを読んだときに、日本語の文法や誤字、脱字があってはいけない。」

 

#スニーカー同好会

 「正直、仕事が忙しくてあまり楽しさは感じられない。その分、プライベートではスニーカーの友達ができ充実している。」内心、スニーカーがきっかけで友達になれるのか。と疑ったが、その世界の繋がりは熱いものがある。

 ナイキで働いた影響でスニーカーに興味を持ち、色々なスニーカーを購入していた。青森に行ってもその熱は冷める事なく、インスタグラムを介してスニーカーが好きな人に連絡を取った。「ハッシュタグからスニーカー同好会を検索した。連絡を取ったりして、飲み会に参加したり一緒に遊んだりしている。」どこの県でも、同好会があるようでそこでの情報交換や、スニーカーだけでないやりとりもある。

 

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子供が好き

 日中の仕事で多忙を極める中、プライベートでの充実を徐々に手にし忙しさの中にも幸福感を感じているようだ。それ以外にも、夜は小学生や中学生を対象にサッカーを教えている。

 「本来はチームの選手が教える予定だったが、欠員が出てしまい自分が変わりに出席したのが始めたきっかけ。それ以降、子供とボール蹴ったり、一緒に試合に出たりしている。やっぱり子供と一緒にボールを蹴るのは楽しい。」就職活動の時もそうだったが、今も子供に対しての気持ちはある。それをより形にしようと、C級の指導者ライセンスを取得しようと考えている。「これから先、サッカー関係で働く事はブレない。色々なものを経験し、仕事に繋げていきたい。」まだ、5か月と社会人になってからの日は浅いかも知れないが、夢だった世界で着実に一歩一歩前に進んでいる。

 

さいごー方向性を定めたら、歩みは止まらない

  スポーツをやっていれば誰しもが将来の夢はサッカー選手、野球選手などを想像していただろう。スポーツ選手になるには狭き門で順調に進んでいたとしても、ケガなどの理由で退かなければならないこともある。以降、趣味としてフットサルや草野球、仕事終わりに社会人バスケットなどに変わる。彼の場合は運も味方し、仕事としてサッカーと携わる道を開くことができた。

 数か月ながら充実している様子を見れた。学生時代の時とは違い、自分の仕事上の使命、責任感を背負い言葉に重みも増していた。その背景には、仕事以外にもプライベートでの交流が、仕事に対するモチベーションを与えて、好循環を自ら作り出している。

 NIKEで働いていた時の主婦の人から言われた言葉で忘れられないものがあるという。「若いうちに転勤をして多くの経験を積んだほうが良い。と言われたことがあった。青森に来てみてそれが自分によく染みる。これから先も国内、国外でも多くの場所でサッカーに携わりたい。」まだ、社会人となったばかり。これからも、勇猛果敢に自ら飛び込み思う存分、サッカー人生を歩んでいってほしい。

 

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