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東南アジアに魅せられた営業マン 市村拓哉(23)旅行会社


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■いつもニコニコ笑顔の可愛い後輩

 大学時代に所属していたフットサルサークルで知り合った後輩。最初から懐っこく、人見知りする様子もなかった。私が参加していたボランティアのプログラムにも、彼は参加しており、アメリカ留学や東南アジアを中心に学生時代は旅行をしたそうだ。

 やんちゃな笑顔の可愛い後輩だったが、大学を卒業し再会した彼の表情は社会に揉まれ、引き締まった顔になっていた。

 

■就職活動で”なにを売るのか”を考えた

 現在は旅行会社の営業で新卒2年目。国際旅行事業部、東南アジア課に配属。外国人観光客に向けた海外の旅行会社への営業をしている。旅行業界に興味を持った理由は、なにを自分が売るのか。にフォーカスした事にある。「世の中多くのサービスと物がある。車、保険、食など。その時、自分が楽しく、受け取った人も楽しいものを売ろう。その時、旅行業が自分に合うと思った。」

 大学時代にボランティアでマレーシアに行ったときの出来事が、旅行業へと関心を抱く。「現地の人と交流した時、日本のことを全く知らない人たちがいた。日本は中国にあると思っている人がいて衝撃だった。就職活動の際、その時の思い出が蘇り日本のことを海外の人に知ってもらいたいと思い、旅行会社を中心とした。」

 

■やりたいことをやる。1年間のアメリカ留学での決意

 初めての海外渡航は大学2年生。大学が提携するアメリカの大学への一年間の留学だった。中・高とサッカー漬けで、海外に興味はなく、パスポートも持ってなかった。サッカー生活終え、大学生活に潤いを持たせるために選択したのが海外だったのかもしれない。

 アメリカ留学でひとつの決意を固めることになる。「やりたいことをやっていいと学んだ。現地の大学生は向上心があり、平日の放課後は図書館で勉強をし、それ以外の時間も自分の将来へのチャレンジをする様子を見て、自分との違いを感じ興味あるものは全部やっていこうと思った。」

 それ以降、学校の団体のリーダーや、ボランティアグループに参加した。「色々アクティブに動けば、将来に繋がると思って行動した。それまでは活動的にやる方ではなく、自分がやって大丈夫かな?と不安や恐怖も抱くこともあったが、ひとまずやろう。というのを大事にした。」

 

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■ボランティア活動で感じた東南アジアの魅力

 現地で所属したボランティアでの経験が、日本に帰国した際の生活に更なるハリをもたらした。「アメリカ全体的に、ボランティア活動が頻繁に行われている。活動を通して、キリスト教の教えのひとつで”隣人を愛する”ということ知った。シアトルのホームレスと一緒に暮らし貧困に苦しむ人たちと向き合えた。日本に帰ってもボランティアを継続したいと思った。」

 帰国後見つけたのがCFFというボランティア団体だった。夏に帰国してすぐさま応募し、翌月にはマレーシアへ旅立った。ボランティアを通じて、2度マレーシアを訪れた。最初は参加者として、二度目は参加者の学生を束ねるリーダーとして。

 初めての東南アジア。アメリカの繁栄と貧困の二面性とは違う、発展途上国ならではの現状があった。「アメリカのホームレスとは違い、どうしても変えられない環境があった。道路やゴミ、衛生面など劣悪なところだった。そこで生きている人を見て、自分の恵まれている環境を思い知らされた。このまま帰国して、甘えていたらだめだと痛感した。」

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 その経験を違う形で表したい。二度目のリーダーとして参加した時を振り返ると、「元々、リーダーシップを取るのは苦手だった。けど、今しかできないことをしたいと意識づけた留学での想いを全うしようとチャレンジした。参加者や現地の人たちに目を向け、それぞれの表情を見てかける言葉や行動を意識した。リーダーを担当することで、自分自身を見つめ直せるキッカケとなった。」

 

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■先々で起こる衝撃

 アメリカ、マレーシアへの渡航が彼の冒険心をくすぐった。 それ以降、東南アジアを中心に、ミャンマー、ラオス、シンガポールなど10数か国旅行。

 東南アジアに魅せられた理由は、「アメリカ人もフレンドリーなんだけど、少なからず壁を感じた。一方、アジア圏では懐にスッと入ってくる。そういう人たちと触れ合いたいと思った。また、東南アジアならではの、町の匂や雑多で喧騒のある雰囲気にハマった。」

 経済発展がめざましい東南アジア。法整備も国によっては機能しているが、一度都会を離れるとそこで暮らす人たちの現状や思いもよらない体験もある。

 カンボジアを訪れた際には10代の女の子が体を売っている様子を目の当たりにした。「幼い子が自分のところに近づいてきて話しかけてくる。もちろん断ったけど、その時のことは今も覚えている。」

 卒業旅行で友人2人と行ったインド旅行では初日から災難に見舞われた。道を歩いていたら突如見知らぬ男性から顔面を殴られた。驚き走り出して、トライシクルで逃げようとするも、追ってきて走行するバイクから全額が入ったバックを取られた。「本当にヤバイと思った。目の焦点が合わない人でバックも取られ、この先どうなるんだろうと…。」焦りと不安が募りながらも、居心地が良くそのまま一か月滞在し。砂漠へ行き、ラクダに乗ってサンセットを眺め、ガンジス河で沐浴もした。

 その、ガンジス河がインドで思い入れのある場所だ。「沐浴は罪を流すと言われている。現地の人たちは、朝沐浴することでそれまでの罪を洗い流し一日を始める。一方、河の横では遺体を火葬し、その灰をガンジス川に流したりもする。河には子供の遺体も流ていて、生と死が入り混じる場面を見て人生を改めて考える場所になった。

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■学生で経験した事が期待に繋がった

 なんかしたい。その想いで始まったアメリカ留学から卒業までの数年間を海外での挑戦に費やし、今の会社へと就職。学生時代の経験から今はどのようにして働き、海外と携わるようになったのか。
 現在は東南アジア課で勤務。当初は新卒社員にはその部署の枠は無く、欧州、米州のみだった。それにも関わらず、配属となった理由にはマレーシアでのボランティアがもたらした。「入社面接から、入社後もずっとマレーシアでのボランティアや東南アジアの話を上司や先輩方に話をずっとしていた。その話が人事や上層部に話がいき、配属となった。」後日、上司から異例の配属となった理由を尋ねてみると、「市村は東南アジアへの想いが強い。こいつならなにかしてくれるのではないかと思っての人事だ。」と期待を込めての抜擢だと明かしてくれた。

  

 ■素直と謙虚

 彼自身の長所である素直と謙虚を大事しているという。「上司や先輩方の指摘や指導は必ず受け止める。それを持ち帰り、自分の間違った点を修復し、後日行動に移すことを徹底している。」同期や社内含め高学歴出身者が多い環境で、能力は劣るが自分の良さを出すことが最良の結果に繋がると考えた。

 

■新卒1年目と2年目の違い

 2年目となって数か月だが、少なからずまわりの社員からの目線が変わったのを感じている。「1年目はなんでも聞け、何を聞いても周囲の先輩方は教えてくれた。2年目からは段々と変わってくると感じているし、同じミスはできない。」

 そう思っていてもミスをしてしまった。些細な書類の書き方を間違えた。普段であれば間違えることの無いことだった。先輩からは、「これから新入社員が下に付き、指導をすることになる。彼等に間違ったことを教えてしまったら、それが続いて間違えたままになってしまう。」と言われた。「確かにそうだなと感じた。2年目はこういうものだと改めて痛感した。反省し、気持ちを切り替え、これから注意や指摘もしっかりと受け止めできることを全うしていきたい。」

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 ■現地の人たちに合わせた日本の魅力を提供したい

 「まだまだ仕事もできないし、ノルマも達成できないのが現状だけど、いつかはマレーシアのクアラルンプール支社で仕事をするのが目標。」2年目でまだ把握できていないこともあるが先の目標はしっかりと定まっている。

 「マレーシアに住んでいる人たちのことをまだまだ知らない。都会、田舎に関わらず、住んでいる人たちの生活習慣、コミュニティの種類、思考など。日本への旅行が、桜や寿司とかではない、現地の人たちの根底にあるものを見極めができると訪れた時より良い体験を提供できると思う。」そう語りながらも、それをどのように見聞きすれば良いのか解決策を見出せないのが現状なようだが、好きなものを扱い仕事にできているから幸せです。と締めくくった。

 

■さいごー探すことを怠らない

  最初の留学は自分の可能性を広げるためだったのだろう。それまで、彼はサッカーで培った思考、まわりの環境、生活リズムで形成されていた。進学し、知らず知らずのうちに自問自答を繰り返し、自分の枠を超えたいと思ったのだろう。一歩踏み出し海外に興味を持った結果、自分でも思いもよらないスピードで人生が変わっていったようだ。

 アメリカ留学、ボランティア、海外旅行。4年間でできうる最良のことを自分に投資した結果、就職活動で内側にあった日本を知ってもらいたい。それが一番伝わるのが旅行業だった。

 自分の経験を理解、判断し、仕事にも真摯に向き合えている彼を見て、培ってきたことを仕事という場で形にしており刺激をもらえた。アメリカへの一年間留学やグループのリーダーなど責任や規模の大小ではなく、彼が上司や先輩たちに熱いを思いを伝えていたように、普段何気なく思っている事を友人に話す。自分のいる立場で普段と違った方法や手段を取り入れるだけでも、外からの刺激で人生への潤いがあるのかも知れない。